2007/09/24

問題の本質 - システムエンジニアの成果主義

ふらっと散歩中に、成果主義について考えて、無駄に歳を取っても高給だったり人事が順番だったりする不平等感を打破するため、年功序列制度を廃止して移行してるんだよね?、と思いました。
どんな問題があるにせよ、事実上年功序列や終身雇用が破綻しているため、あらゆる面で「成果で評価する事」は必然だと思います。

でも成果主義への移行がうまく進むためには「成果を客観的に評価でき(て順位付けができ)る事」が求められますが、実際には人が判断するため主観が入るし成果の中身があいまいな場合もあるかもしれません。

そのため成果主義により引き起される問題のひとつとして「がんばっても評価されないという閉塞感」が挙げられると思います。結局、主義・制度の周りの「成果をみる環境」に問題があるために、主義・制度を変えても「閉塞感」から逃げられないのだと思います。
「ダメな上司」による評価は、どんな基準でやってもダメになりますし、制度を変更する前提として現状の分析と改善が行なわれなければ、変化によって痛みを生むだけで良くはならないでしょう。

しかし前述の通り成果を評価するという事自体はもはや避け難く感じます。 本当に?「終身雇用が崩壊したから、年功序列制度が不適当」なの? 「年功序列がだめだから、成果主義の導入」なの?

経営者はドラスティックな変化の方が即効性がありそうだと思うのかどうかわかりませんが、会社は生きものだとして考えて、癌のような病気の治療が必要だと捉えれば、直感的には変化は少なく、問題の特定と必要最低限の解決策がベストな処方箋という事になるように思えます。
まんま置き換えのようなドラスティックな変化が効果的なのは機械のような規則的な動きをするモノに対する対応策のように思えます。

年功序列が問題なのではなくて、会社からすれば必要な時にリストラができなかったり、給与原資を低く抑えたかったり、働き手からすれば不安定な事に対する見返りを求めたり、という ことなんじゃないかなと思うんですよね。
で、その解決策がいま言われているような成果主義なのかと。

システムエンジニアって、事務方から開発、技術者、単純労働者的ないろんな仕事があって、それぞれチームプレイなのに、そういう職種の括りなので同じ土俵で評価されるんですよね。
いろんな仕事があるのは良い事で、誰でもできそうな仕事であっても、誰かがやらないと周らないですから。そういう仕事をちゃんとやるというところでプライドを持つ事だってわるいわけではないですし、必要なことです。 そうはいっても仕事を理解して進めるためには広い意味で技術が必要で、そういう仕事をちゃんとやっている人と、そういう仕事をちゃんとしないで自分の仕事の中にいる人の間に線が引けない事が問題なんじゃないかなと思います。

結局仕事の内容によって給与が決まって能力に応じて仕事が変化していく、 同じ仕事を続けていく事自体がマイナスに評価されかねない現状を変化させないとだなぁ。
健全じゃないですよ。やっぱり。

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