2007/10/13

28年前の事件のその後…

「追跡!28年前の『酒鬼薔薇』事件」のオビに魅かれて、奥野修司:「心にナイフをしのばせて」を読みました。この加害者が弁護士になっている事が同じくオビにあるけれど、加害者のその後を追ったわけではなくて、その被害者の家族を取材して、家族がどのように歩んできたのかを書いた本です。

著者もこの方法しかなかったといっているけれど、この本の構成は非常にユニークで、何かがよくまとまっているわけでもないけれど、読み終ってこういう方法しかなかった事がよくわかります。

これを読んでから、たまたまニコニコ動画で女子高生コンクリ殺人事件の加害者が出所した後のインタビューをみました。職を転々としたりして、結婚したもののあまりうまく行ってはいないようです。それでも悲惨な生活をしているようには見えず、更生しようとしている様が多少は感じられます。
更生とは何なのか、シンプルな疑問が生まれてなかなか良い回答がみつかりませんが。

どちらもいろんな意味で更生しているようです。弁護士の方は「ルールを守ればいいんでしょ(何しても)」という印象があるし、結婚した方は「がんばります…」といった感じだけれど。

少年法の精神は更生のチャンスを与えるという事で、それはすばらしいと思うけれど、国が責任をもって犯罪を犯した少年達のその後をトレースして比較研究して発表するべきだと思います。「更生のチャンスを」という人たちは、少年たちは「反省をする」ものだと信じているか、反省してくれるものと頼っているところがあるように思えて、本当に少年は更生したのか、更生とは何で、その目的に向うための施策が揃っているのか、実際のところよくわかっていないんじゃないかとさえ感じます。

この2つのストーリーを知った後では、現行制度の元では、真に必要な反省がなされたのかわからず、更生したといえるかどうかわからない事が問題だと感じました。

はたして心を壊してしまい、私達の社会が当然と考える、責任や反省を理解できない者を更生させるだけの能力が国の施設などにあるのでしょうか。私達が共通に持っていると信じている社会性を持っていない事を認めて、武士道でも宗教でも良いけれど、そういったベースを紹介する機会が必要なのだと思います。

何が価値観かはわからないし一つにはならないけれど、その一つとして新渡戸稲造の「武士道」かそれをベースにしたなにかを教科書にでもすればいいのかな。
いやいや一つの価値観で全体をまとめようとする事のおろかさは、いままでの歴史で散々証明されてきたのだから、選択肢を増やして様々なものを伝えて受け手が選択する事が重要でしょう。
いまの世の中は大学受験や就職に必要な知識が求められているようにみえて、教師も生徒も当然のようにそれらを与えて、吸収してという様が刹那的で寂しいですね

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