朝日新聞その他のWebサイトで取り上げられているクラスター爆弾禁止の条約交渉を行なう国際会議で日本を含めた3カ国が宣言に参加しないという。
まぁ平和主義をことさら強調しようとする団体やら、いろいろな主義、思想に裏打ちされた理由を持って日本の姿勢を避難する向きもあるかとは思いますが、どんな理由にしろ日本がこういう取り組みに消極的な姿勢をアピールしたことは悲しいとしか言いようがない。
官僚が国益という名の元に縛りつけられているのか、そういう姿勢の人が会議に加わってしまったのか、一人で判断することではないでしょうから、霞が関全体の無関心さと米国の意向を強く意識した事がこういう結果を招いてしまったのかもしれないと妄想してしまう。
こういった取り組みに対して何でも良しとしてしまうのはレベルが低い事ではあるけれど、納得のいく理由が報道からは読み取れないのでは、米国の意向を(勝手に)考えて行動したというのは説得力があるだろう。
国際会議に参加する国の思惑もいろいろ、日本側の理由もいろいろあるだろうけれど、今回の判断は憲法の精神から乖離している気がする。 憲法はベースライン、このゲームのルール。
作り変えるという動きがあるけれど、憲法を読み直そうとはあまり言っていないようだ。 識者の判断や議論が重要という筋書になっている気がするけれど、国民を巻き込まない方向性は間違っている。
体型の変化に伴なって憲法という服を作り変えるのなら賛成するけれど、いまの自分のセンスと違うという理由で和服を洋服に作り変えてしまうような事は慎重に進めなければいけないし、その自覚がなければいけない。
軍事力以外にも平和や国際貢献で信頼を得る道はあるはずなのに、経済的なインセンティブによってこれからの国の方向性が決まるようにみえるのは悲しい。 最近の情勢からは長期的には国際的な経済における日本の重要性が低下することで、政治的な影響力も失う可能性がそれなりにあるのだから、それを恐れて既得権益の確保に走るよりは、精神的な崇高さを残して欲しいと思う。
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