2010/01/10

献血をする理由

今日は会津若松市で恒例になっている十日市という市というよりもメジャーなお祭の日だったので、さらっと見物にいってきました。 そこで市役所の前で献血をして帰ってきたのですが、ふと帰る道すがら献血をしようと思った時の事を思い出していました。

献血するまで…

最初に献血を意識したのは15年以上前、高校一年の文化祭の時に、生徒用玄関の前に献血車が止まっていた時の事だと思います。 でも、当時から気弱だった高校生の私は、「困っている人がいます」という大義名分を後ろめたくも感じながらも、なんとなく怖くて、なにより面倒な事と思って避けていました。

いまから思えば200mL献血しか出来なかったはずだから、 それほど役には立たなかったかもしれないけれど、そんな事も言い訳にしかならないか。

400mL献血と比較すると、200mLは使用時に混ぜる血液の数が増えるので、 患者のリスクが増える点、医療機関で手間がかかり使いずらいという意見がある点、などが報道されています。

不定期ですが継続して献血をする理由は、手術なんかで輸血をすると献血ができなくなるから。 将来必要になった時のために預けているような感覚です。まぁ自己満足である事は間違いないでしょう。

とはいえ、最初に献血した経緯なんか覚えていない

最初の献血は大学生の時で「二十歳の献血♪」とか、それぐらいの気持ちだったと思います。 それに高校時代よりは、面倒なことも少しづつしながら前向きに生きてたし。

とはいえ、高校の時に母親が入院して点滴のように輸血をした後、「身体が楽になる」と話していた事も影響していたのかもしれません。

入院した時点で母が末期の癌だった事は知っていたし、薄情かもしれないけれど血液を贅沢に使っているなぁというのが当時の正直な感想でした。 ひょっとすると、その時に感じた後ろめたいような、申し分けないような気持ちが、献血をしようとする今の自分の土台にあるのかもしれません。

輸血といえば手術で失った血液を補充するぐらいしか使い道を知らなかったし、いろいろ使い道はあるんだという事をその時に知りました。

20代の献血者数が減っているというけれど

いまどき単純な「助け合い」なんていう言葉だけで増えるわけないと思うんですよね。 いや、きっと昔だってそんな理由で献血する人が多かったわけじゃないだろうにと思います。

きっとそれは漠然とした「やらなきゃ」っていう気持ちだったんじゃないかな。 けれどそれは「助け合いましょう」なんていう言葉で生まれるものではないと思います。

基本かもしれないけれど、血液をどういう人が必要としているのか、「輸血されたら献血してやろう」という考え方が通用しない事を伝えるべきなんだと思います。

必要な情報を知った上で、個々人が判断すればいいことですが、「輸血されたら〜」な人がそれなりに居るような気がしてなりません。

献血事業を掌握するのは厚生労働省

嫌な話しだけれど厚労省の担当者は普及活動が下手だと思う。 400mL献血が重要な理由を説明するなんていう事は、二の次のはず。 まずは献血の必要性を基本から訴えてほしい。

まさか献血の必要性を一切、訴えない萌えキャラサイトを作って済むとか思ってんじゃないですよね…。 幼稚園児に献血の方法を教えたいのか、これでボランティアを増やすつもりじゃないよね、とか小一時間ほど話しがしたい内容になっています。

効果的な啓蒙活動の方法についてコナミかSCEの広報にでも相談すればいいんじゃないのかなぁ。

けれど頂いたナースキティ&けんけつちゃんの手帳は、机の上で使っていこうと思います。 こういうノベルティは良いと思うんだけどさ。

基本的な事は説明しなくてもわかるでしょ、といった基礎を固めずに家を作るような行為の積み重ねが今の惨状を招いているんだと思います。

0 件のコメント: