2009/04/27

グーグル・ブック検索訴訟の行方

米国で締結された和解案によって、実質そのテーブルについていない米国外の関係者たちの権利も制限されるという点は信じられないのですが、国内の各団体同様に日本ペンクラブは4/24時点での見解を公表しています。

この見解はモヤモヤとした違和感を落とし込んで本質的な問題点を鮮明にしていると思います。
各報道機関の主張で丸められて、ちゃんと報道されていないようですが、短かい文書ですから直接読むのがオススメです。

さてさて、電子化し検索可能にする、いままでGoogleが行なってきたデータを情報に変化させて活用する手法は概ねだいたいの場面で有益です。
しかしブック検索については純粋な経済活動を正当化するためにエンドユーザーが持つべきフェアユースの概念が利用されている気がして違和感を感じました。

個人的なスタンスとして著作物全般は電子化によりコピーが容易になった分、コンテンツが誰のものであるか明確でなければなりませんし、それは明記され常に尊重されるべきです。
ただ著作権と経済活動と結びつけた発言などには、その時々で強い違和感を感じる事があるのも確かです。
自身の著作物から利益を得る事が悪いとは言いません。それは常に別の次元の話しであるべきです。

プログラムコードは著作物として扱われるべき表現の産物だと実感していますが、基本的にはその断片は工業製品というか道具にしか過ぎないものだとも思います。
これはプログラムは特定の計算機で必ず処理可能な単純な表現を持つ事に対し、 多様な表現を含む文化的な作品と同列に扱うというのは主観的に納得しがたい事だからです。

文化的な作品は欲求から作成されますが、反面、プログラムはもっぱら必要によって作成され消費される側面が強いと思います。
これはバランスの問題で、高度な表現としてのプログラムや、必要によって作成される本もありますが、同じところに重点を置くべきものではありません。

技術者寄りの視点かもしれないけれど、本などを電子化するのであればちゃんと消費された分だけ著作権者個人の収益が上がるようなシステムに組み込まれなければならないでしょう。バルクじゃなくてね。
そういったインフラの中で自由に著作物が作成・公表できれば表現者の利益と市民の利益がバランスして幸せになると思うんですよね。
もちろんどこで表現するかは自由ですし、何を消費したかのプライバシーやらの問題はありますけれど…。
ザナドゥは完全にペーパーウェアと化しているしなぁ。

経済的な側面は常に担保される事を保証する事で、この観点を切り離して、純粋に著作物をどのように支援して発展させていくか真剣に考える事が目指すべきところではないでしょうか。

0 件のコメント: