2012/10/14

「アシュリー事件」を読んで

別記事にまとめてはいましたが、改めて本を入手して読み終えたのでまとめておく事にしました。

ちなみにamazonでは2012/10/5の時点で「通常2~4週間以内に発送 (予定日:10月21日 - 10月31日)」というメールが届いていましたが、繰り上がり、10/13の午前には手に取る事ができました。

実はこの後で郡山市内のジュンク堂に在庫があった事が分かったのですが、場所は医学一般書。 在庫があると分かってからも、しばらく探してしまいました。

この本のポイント

最初の入口は、この事件の表層から賛成、反対、というリクアションを持つだろうとは思いますが、 この本全体では、そこからさらに深く入り、その行動や事象の背景をできるだけ明かにしようという姿勢が明確になっています。

著者が自身のブログで「アシュリー事件を語る方に」のエントリとして、娘さんとの日常を綴っている点からも、賛成、反対という二元論的な反応ではなく、当事者にもっと寄り添う形での、事実をもっと知ってから考えて欲しいという姿勢が感じられ、この本から受ける印象と結びついていきます。

改めて本書を読んで…。自分との距離感

私は何も特別な経験を持っているわけではありません。 当事者でもないのに…、といわれても返す言葉は持っていません。

それでも、ここ最近住民税の減税を掲げて当選したどこぞの市長が障害者向け手当の削減や事業の縮小を模索しているのは事実で、障害者に限らず各種セーフティーネットも見直しが行なわれていく流れになっています。

当然この流れには私自身も居て、この生活が誰かの犠牲や誰かへの皺寄せの上に成り立っているというのは気持ちの良いものではありません。

しかし、その罪意識が軽くなるように、排他的な方向でコントロールを効かせるというのは本末転倒でしょう。

といった感じで、利己的な観点で考えても、アシュリー事件での一連の流れを正当化するのは難しいと感じます。

自身の生存を認めてもらうために大多数に属するというではなく、この世の中は誰でもそのメインストリームから外れる可能性を持っているわけで、マイノリティを包含する社会を作っていくというのが、自身のためでもあるというのが日本なら、まだ共有可能な考え方だろうと思います。

とはいえ、いじめが社会問題として今年は大きく取り上げられましたが、この問題が一定の解決がなされずに、ことなかれ的に放置されるようなら、かなり暗い先行きでしょう。

根っこの部分では、異質な者をターゲットにするいじめの構造と、ことなかれ的に全体としての問題への対応を積極的にとってこなかった責任者の行動は、この本を読んで感じる印象と重なるところがあると思います。

震災後も福島県内に居住しているというだけで、遠く離れた人達からどう思われているんだろうなぁ、と考えない事もないわけで、そんなに遠い問題でもないというのが全体を読んでの本当にざっくりとした感想です。

勘違いしていたこと

この本の中でも繰り返し取り上げられていますが、アシュリーの両親が一連の"療法"を行なうにあたって、迷いがなかったという点については、当然葛藤があっただろうと考えていました。

実際どうだったのかはわかりませんが、少なくとも両親の行動からも、この両親が迷いなく我が子に医療的な処置を依頼していた様子が想像できます。 それは異様ではあり、その行動を当然のものとして捉えるために、その両親像について、いくつか残酷な偏見かもしれない想像をめぐらせている自分が少し嫌にはなります。

それでも世の中にはいろんな主義、主張の人がいるわけで、やはりこの両親を非難するというのは間違っている方向として考えるべきでしょう。

でも、そういう風に感じる人は少なくて、賞賛するか、非難するかの選択をするのが普通かもしれません。 ずっと昔に祖父とマインドコントロール化にある某教団の幹部インタビューをテレビでみてて、誰でもこうなる可能性があるといったら、「そんなことはない。こいつは馬鹿なのだ。」といい返されて喧嘩になりそうになった事を思い出します。

今年は生活保護の話題でも弱者の義務というか、自己責任について、報道が多くあったと思います。 生活保護については批判をかわすために、家賃の行政による直接振り込みや、食費のチケット制という話題もありました。

パチンコをやりたいなら、すればいいとは思うんですけど、そうさせないために選択肢を奪う事が成長には繋がらないと思うんですよね。かといって効果的な方法も少ないように思えます。

手を差し延べることはできても、その手を握るかどうは相手次第でしょうし、その手がどういう人の手かによって、握りたいと思うかどうかの自由ぐらいはあるはずです。

そういう答えの出ない問題に望む時には、基礎となる考え方を固めないといけないと思うんですが、そういう訓練のためにも、この本を読んで考える事で、自分の中にあるはいろいろな思いを引き出してくれると思います。

一番怖いのは、この事件を通しての一連の行動がいろいろ検討して影響を考慮した上でとられたものであればまだ救いはありそうですが、無自覚に当然のものとして新たなアシュリーが造られてしまう事でしょう。

0 件のコメント: