2008/02/02

記憶と情報のはざま

昔、祖母が使わなくなった物を押し入れに入れていた事を不意に思い出しました。何に使うという事でもなかったけれど、私も包装紙を保存しておけばブックカバーに転用したりできるかなって少し思いました。最近はブックカバーに少し凝っているので。

それからいろいろ思い出して、お菓子作りやら御飯やら料理が得意だった祖母は、いつだったか学生でろくに自炊をしない私に「いまの時代は外で買ったもの食べてもおいしいものね。むかしはそんなにおいしいものなかったわ〜」といっていた事を思い出します。
今は餃子の農薬問題やら食品添加物が問題になったりするけれど、保健所やら行政が頑張っているせいか変なものはあまりないようです。それなりに幸せな時代っていう事なんでしょうか。

そんな祖母は婦人向け雑誌のレシピの切り抜きをやたら残していましたが、昔はいまみたいに情報がこんな安価に流通していなかったから、そういう情報を残しておく癖がついたんでしょうね。
押し入れの他のものも、もったいない、というよりも次に手に入るチャンスがあるとは思っていなかったんでしょう。いまでは大抵のものは後で手に入れたものの方が良いものがあるという雰囲気です。

いまは、何の保証もないですが、レシピや探し物は簡単に探す事ができます。
自分が必要としている情報は検索したり、簡単に探せるところに"誰かが残してくれている"と思って安心しているということはないでしょうか。
あるいは後から手に入れるものの方が品質が高いと思っているのかもしれません。

雑誌の記事ならその会社がある程度の信頼性(保証なし、信用のみ)を担保してくれますが、匿名性が高い、今のインターネットの使われ方は少し危険な方向を向いているのかもしれません。
誰が何を書いたかトラッキングできる概念を持つザナドゥは、実現してはいませんが、一定の方向性をいまだに持ち続けているという意味で偉大な発明(概念)だと思います。
いまの時代に私たちは手に余るコンピューティングパワーを手に入れて、何をするんでしょう。 今まで手に入れる事ができなかったものをどんどん手に入れていくこの時代に何をするべきなのでしょうか。

インターネットに完全な本人確認は不要だと信じていますが、確かに何かには必要なんでしょう。 それがNGNなのか、Carnivoreのような検閲の仕組みなのか、また違うもので実現されるのかわかりませんが。

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