今日読んだ山田祥平のRe:config.sysでは、Appleの"Numbers"とMicrosftの"Excel"の比較と、「デジタルはイネーブラだ」という言葉が紹介されていました。
最近思うのは、10年以上も主にlinuxを中心にコンピュータを使っているけれど、私たちの暮しはより便利に、よりハッピーになっているのだろうかという事です。
CPU、メモリ、二次記憶域なんかのハードウェアはどんどん拡張されて、ソフトウェアも(以前と比較すれば)より高度な事ができるようになっているけれど、運用なんかを仕事にしていると、不完全なソフトウェアの負の部分を、高度な柔軟性を持っている人間が補っているという実感がどうしてもなくなりません。 たしかにそれは仕事の一部ではあるのですが。
私はコンピュータは人間に対する便利な道具であるべきだと信じています。
現状は多くの人々は、開発者と呼ばれる人達のソフトウェアを消費する立場にいるだけで、Excelなんかのマクロを作成する事ですら、つまり自分が日頃使っている道具を少し便利にしようとするだけで、高度な技術が要求な敷居が高い作業だと考えられているように思えます。
なにしろ開発者と呼ばれる人たちの中でさえ、他人の作った雛型のコメントやフレームワークの説明書に書かれた事しかできない、見方を変えれば、ただの消費者でしかない人達も一部には含まれています。大部分の人たちは何かしら工夫をしたり、別の部分で作業効率を上げるような工夫ができる人たちだと思いますが。
Javaを中心にEase of Development (EoD)などと言われていますが、昔聞いたEnd User Computing (EUC)はどこにいったんでしょう。
紙と鉛筆を手にした人間が様々な作品を作り出したように、コンピュータを使ってそんな創造的な活動ができる事を、コンピュータリテラシーの目的に置く事が重要だと思います。
「読み書き、ソロバン」なんていうリテラシーの意味を説明する言葉に躍らされて、(セキュリティ対応含めて)メーラーとWebブラウザの操作ができれば情報の授受ができるからリテラシー教育としては万全なんていうのは間違っていると思います。
「コンピュータを使って何ができますか?」、この質問により具体的に、多くの回答を出すような教育が必要でしょう。
お金のある人が多くのソフトウェアを購入して、より多くの事ができるようになるなんていうのは、正しい方向性ではないと思います。
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