ラベル リテラシー の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル リテラシー の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012/05/07

SEが陥ってはいけない矛盾

親しくしている人のノートPCが壊れてしまったので、手元にあったThinkPad X61に Windows XP Professional + MS Office 2010を入れて貸しているのですが、 その後の調子を聞いた時にOffice 2010のリボンインタフェースが使いずらいと言っていました。

職場でもWindows XPとWindows7が入り乱れている環境が増えてきているのではないでしょうか。

リボンインタフェースについては、否定的な意見を良く聞きます。 個人的には気にいっていますが、開発者が「昔のあれは良かった、今のこれはだめだ」、そんな事を言うのは自由です。 ただ自分は新しい状況に積極的に対応していないのに、 「あの人は試しもしないで質問ばかりしてくる。いつまでたってもパソコンが使えるようにならない」そんな事をいうのは、人に迷惑はかけていないというのかもしれませんが、それでも、矛盾しているのではないでしょうか。

これを機会に、開発者ではない一般のユーザーがOSの変化やIE6からIE9への移行といった軽微な変化にも戸惑ってしまう理由を考えてみると良いのではないかなと思いました。

非難するのは簡単

パソコンを使いこなせない人を指差して、「学習意欲が低いとか」、「試しもしないで質問ばかりする」、そういう事をいう人をたまに出会います。

確かにパソコンがうまく使えない人は、自分の時間を割いて必要とされるスキルを身に付けようという意欲には乏しい事が多いとは思います。

しかし、そういう能力も意欲も高くない人をさらに落し入れるのが、ちょっとしたUIや使い勝手の悪さという点は、自分の経験からも答えが出せる事だと思います。

自分の経験から、解決策を考えてみる

そもそも意欲の低い人に対する対応方法はありません。適切なインセンティブと評価を与える以外にできる事はほとんどありません。

覚えておいて欲しいのは、賞罰は必要ではなく、評価が必要なのだという点です。

工場のライン管理では、チームとメンバーを書いた一覧表を休憩室などに張り出しておき、その週や月毎の一番良い評価を得たチームにシールを張っていく、そんな事で大きな改善効果が得られたという経験談を聞いたことがあります。

故事にもあるように、生きるために水が必要な馬を、水場に連れていく事はできますが、強制的に水を飲ませる事は、まずできません。 そもそも無理に何かをさせるという行為には恒久的な効果は期待できません。

それでも、同じ質問は2回まで、メモを取る、そういったルールを設ける事はとても重要です。 それでうまく出来なければ対応を考えればいいし、大切な事はより上位のリーダーが全体のルールを決定し、全体に周知するという事です。

仕事上では失敗が許されないため、自宅でシステムファイルを消してしまった開発者は多くを学べますが、仕事ではそんな行為をした日には罰を与えられるだけで、同じ行為でも評価・効果はまったく違ってきます。

失敗できる環境、試せる環境、そういう環境を準備して、「あとは個々の意欲次第」といえる環境を与えられているか考えるべきでしょう。

非難するのは間違い

人間の行動を分析する時には、虚栄心よりも、恐怖に基づいて説明するとうまくいくケースが多くあると感じています。

仕事で失敗をする事はできません。 その現実は、人の意欲を低め、積極的な経験を積む機会を奪っているという事はできないでしょうか。

失敗しても大丈夫な環境を作り、提供する事は、教育のためにはとても重要です。

それでも、何も自発的に行動しないのであれば、その点を指摘するべきです。

そもそもパソコンの電源ボタンがどこにあるか分からない人に、失敗しても良い環境を作る事などできないのです。 ネットカフェを実験環境にして、OSのシステムフォルダを消してみる、そんな休日の過し方がまともだと私は考えています。

2010/04/15

「共生のための技術哲学」を読んで

共生のための技術哲学 村田純一編」を読み終ったので、感想をまとめておこうと思います。

概要

この本は村田純一先生が企画・運営に携わり2006年に開かれた本の表題と同名のワークショップの成果をまとめたものです。

ワークショップでは「ユニバーサルデザイン」の考え方をベースに、様々な方々が自らのバックグラウンドにもとづいて講演されており、本書にはその講演録を元に書き直されたり、ワークショップを受けてその後に書かれたと思われる論文が収録されています。

そのため、前の講演内容を受けて説明を行なっている論文があったり、聴衆に呼びかけたり、読み易く編集されてはいますが、いくらかライブ感の残る内容になっています。

読み終えての感想

この本の前半に大きな位置を占める「社会構成主義」については、先日ブログにまとめて投稿しました。

全体を読み終えて思ったことは、私たちの周りには人間の持つ柔軟性に頼っている、本質的に使いずらい建築物や工業製品があふれているのではないか、ということでした。

この感想を持った理由は、おそらく私自身のバックグラウンドも多少は関係していると思います。

感想のベースになっている自分のバックグラウンド

私自身の技術的なバックグランドはネットワークセキュリティであったり、Gnomeアプリケーションの改良だったりしますが、仕事としてはシステムの運用経験が大きな位置を閉めています。

その業務は基本的に誰かが作ったものを引き受ける先である性質上、設計書や手順書などのドキュメントに大きく依存していました。 どのようなドキュメントであれば短時間に、間違いを起さず、必要な作業(計画、変更、確認、etc.)が行なえるのか、常に模索していたと、いま振り返って思います。

基本的にドキュメントというのは、書き手の持つ観点に依存しています。 良く考えられた印象を受けるドキュメントは複数の観点を持って書かれたものといえるでしょう。

しかし実際には、想定されるフローから外れた事象には対応できなかったり、当たり前と思われる前提は省かれていて、その内容は、所詮、書き手の知識・経験に大きく依存し、またそれを反映しただけのものに過ぎません。

そのために落とし所として、再起動などのスタートラインの敷き直しをするわけですが、それすらも全ての事象に対応できるわけではありません。 ガバナンスだ、標準化だ、といってみたところで基本的には開発者に細やかな配慮が求められ、最終的には運用担当者のスキル、という属人的なものに依存せざるを得ない性質を持っています。

そのため部分的にアウトソースしても、観点を見えないところに追いやっているだけで、考慮されていない観点は常に、より属人的なスキルの低い、下流に流れていくのが常でした。そしてより大きな問題として表面化し、場合によっては下流で受けた担当者単独のミスとして扱われることすらあるでしょう。

運用に限らず社会的に、この見落した、配慮の欠けた観点が下流に流れていく、最終的には利用者がツケを払うという構図があると感じています。 そのために法律といった形で、より上流で行き届いた配慮を行なうことになりますが、最大公約数的な対応となり必ずしも十分な対応にはならないでしょう。

最低限守らなければいけないルールを活かすためには、本来の趣旨を考え、それに沿って行動することが必要で、そうしなければ、最低限のルールに従うという投資に対して十分な見返りを得られないというのが個人的な見解です。

経済的に考えても、どうせやるなら意味のあるものにする、ルールは守ってこそのルール、だと思います。

「ユニバーサルデザイン」の普及について

本の中では「ユニバーサルデザイン」という言葉について違う表現で語られますが、より多くの人に多様な機会・方法を提供するという捉え方がとても気に入りました。

人間は生まれてから成長を続け、やがて老いていきます。 車イスに乗るぐらいのことは多くの人が、これから体験していくでしょう。 糖尿病になり失明する人も決っして少なくありません。 そういった自分に対して、これから起り得る、様々な局面の中で使い易いものを作るだけの話しに過ぎません。

もちろん理想的な成果物はコストなどの理由で作られないわけですが、本書の中ではユニバーサルデザインの考え方を、思想・哲学・運動・教育などの言葉で修飾することで、理解度の向上、社会的な圧力が生まれ、発展してゆくだろうという展望が語られています。

より多くの人が使いやすいものを求める、自分の使っているものが使いやすいかどうか、十分快適かどうか、自分が機械に身体を合わせていないか、十分に疑ってみる必要があります。

工業製品のレベルでは経済原則によって十分にユニバーサルデザインが普及するでしょう。 ただ、それよりも規模感の大きな建造物では、コストも大きくなり少し状況が違うかもしれません。

日本の風土

個人的には日本では、みんなが頑張って「標準的な枠」に収まろうとする活動が常にあって、その枠に収まれない人を援助をするという捉え方があるように感じています。 この枠に収まらないことで自らを恥しく感じるということもあるでしょう。

身近なレベルでは、成人男性に合わせた工業製品は小柄な女性には使いづらいという事は良くあることです。 枠を変化させなければ、その延長線上で、足腰の衰えた老人は次第に枠から外れていくのだろうと想像がつきます。

ユニバーサルデザインという考え方を教育や運動によって実現していくというのは自然な意見に聞こえますが、はたしてそうでしょうか? 意思決定に関わる全ての人がこれから老いていき、関わるものをデザインしているというのに、どうしてこの視点が欠落してしまうのでしょう。

将来の老いてゆく自分のために、ユニバーサルデザインという考え方を自然に身につける機会があると考えることはできないでしょうか。 もちろんこれは個人レベルでの道徳的、倫理的な感覚に依存しています。 最初のステップで教育は重要です。 しかし、そこからは自分自身の問題として受け止めることができるかどうか、それがより大きな課題だと思います。

若い人間を非難する言葉の中に、想像力の欠如という言葉をみますが、現在老人となった世代の想像力が欠如していたために、生きずらい環境を構築してしまったという事も言葉遊びとしてはできると思います。 もちろんそこには、個人レベルの想像力と世代全体を動かす想像力の違いがあるわけですけれども。

老人世代の復権

ある時代の多数派であった世代が老人となり、その要求は数の力を帯びています。 現実にはその数の力によって世の中が変化してゆくでしょう。

しかし、数の力は時に局所的な変化を作り出してしまい、「バリアフリー」で見られるように、建物全体はバリアフリーでも、そこに至る道や交通機関はバリアフリーではない、という現象を引き起しかねません。

残念ながら既に作られた「標準の枠」に収まっている私の所属する世代は、そのデザインについての決定権を持っています。 きっとこれからもコストのなどの理由で、いまの老人世代が見過してきたようにユニバーサルデザインという考え方を無視する意見はあるでしょう。

ユニバーサルデザインの考え方を取り入れ、実行する理由があるとすれば、いま生きずらい環境にいる老人をみて決定権を持つ世代が想像力を働かせる以外にはないのではないでしょうか。

ほんの少しだけ、自分の生きやすい未来を考える事で、この観点を得ることはできそうに思えます。 日本では欧米の他者をいたわるキリスト教的な観点よりも、より自分自身の問題として問う事がより説得力を持つでしょう。

自分自身の問題、その中にも障碍者と呼ばれる人たちのいくらかの助けになるデザインがあり、それをふくらませる事で自然に対応できる課題が多くあると思います。

ユニバーサルデザインという考え方に思うこと

ここまで書く中で、何が「ユニバーサルデザイン」なのか、ということを感じています。 老人世代を考慮するだけで障碍者と呼ばれる人々の助けになる部分もあるでしょう。 けれど、より多くの人々の助けになるためには、もっと多くの配慮が必要そうです。

まずは車イスを移動手段として暮せる社会、次に視覚に不自由があっても暮せる社会、次に…、と考えても、そこには同時進行的に並列に解決できる問題も含まれています。

このように特定の問題を解決してゆくのではなく、様々な観点を導入し、お互いに相互作用することがユニバーサルデザインとなってゆくのだろうということです。

いままで当然と思っていたものについても、なぜそうなのか、という観点を持つ事がまずは必要に思われます。

地域毎のユニバサールデザイン

川崎、横浜での7年間の生活に終止符を打って田舎に引っ越してきて感じることですが、 建物や道路など都市のデザインは関東圏のそれと、大きな違いがないような印象を受けました。

例えばショッピングセンターの周りには屋根のない通路があって、駐車場と出入口を結ぶ道になっています。 もちろん雪が積ると通れないですし、吹雪を防ぐために屋根だけでなく壁があってしかるべきでしょう。

そして本を読み終えて、この雪深い、4月でも深夜の気温はマイナスになる、この地域に共通に適用できる雛型、ユニバーサルデザイン、があるのではないかと感じました。

いまの日本は物流や情報の均一化が進み、ファッションなどの消費行動の流行も均一化しているといわれています。 沖縄の購買パターンを分析して、夏物衣料の流行を予測するという会社もあるようです。

そんな流れの中で都市のデザインも均一化が進むのかもしれません。 しかし豪雪地域ではトタン屋根が実用的とされ、瓦屋根を嫌う雰囲気があるように、地域にあったデザインは必ずあるはずです。

その考えを広く家族構成や生活パターンといった文化的な背景も含めて広げていくと、着眼点ごとにデザインができてゆくと思います。

この考え方に違和感を感じるとすれば、それが障碍者と呼ばれる人々に対してアプローチしていないということかもしれません。 より多くの人に機会・手段を提供するのがユニバサールデザインの機能だとすれば間違いないはずですが、これまでのバリアフリーから発展してきた流れとは明らかに違うでしょう。

障碍者とは呼ばれない自分の手の届くところにユニバーサルデザインはあるのだと思います。 その考え方を少しずつ広げていくだけで、障碍者と呼ばれる人々も少しずつ巻き込んでいく事ができるはずです。

それこそがユニバーサルデザインなのでしょうけれど、現実には教育が重要でしょうね。 みんなが楽をしたいためエレベータに殺到するなら、最初からエレベータを複数設置するのが正解かもしれません。 しかし現実には、代替手段のない車イスの人を優先的に列の先頭に配置するといった工夫も当然バランスを取るために必要です。 こういう考え方を当然のマナーとするためには、教育が必要になります。

近所にあるハートビル法に準拠しているスーパーのデザイン

よく使う近所スーパーは、いわゆるハートビル法に準拠して作られた、というメッセージが掲げられています。 確かにエレベーターはあるし、天井は高い、通路は比較的ゆったりと作られてはいますが、2階に行くための階段は、横幅は5〜7mはありそうで、2階まで一直線、スカートの丈が短い人をみると心配してしまう作りになっています。

まぁよほど健康な人でも疲れてしまうし、踊り場がないのは落ちたら死ねますね…。 間違いなく杖をつく人はゆっくりでも登らない方が身の為という階段で、私はいつも手すりにつかまっています。

しかし手すりは階段の片側にしかありません。 階段の真ん中に柵のような手すりもないのです。

これでも国交省の「 建築物移動等円滑化基準チェックリスト」には準拠していると思います。 トイレの通路が狭いと思いましたが、これは新基準に合致していないのか、トイレまで120cm以上の通路が連続しているかどうかは出発点をどこに設定するかで解決したのかもしれません。

現在はハートビルを名乗れないかもしれませんが、作られた当時は間違いなく、陳列棚の間に車イスがすれ違えないような通路があっても、ハートビルと呼ばれた建造物であったはずです。

これはそのスーパーを糾弾したいわけではなくて、基準がある事による弊害のようなものがあると思います。 この基準が変化することで、ある時点ではハートビルだったものが、突然ハートビルと呼ばれないようになります。

そんな変化があっても万人に使い易い、使いにくい、という事実に変化はないはずです。 これはチェックリストを元にデザインではなく技術で解決してしまうことによる悲劇のような印象を受けました。

基準があることで、それを解決する責任がデザイナーからエンジニアに移ってしまうことはないでしょうか。 デザインがなくとも基準を満せばよいという考え方は、本来の趣旨を歪めてしまうはずです。

この基準を満し、かつその建物や地域の実情にあったデザインがあるはずだからです。 これからはエンジニアにデザイナーとしての役割を意識することが求められてゆくのかもしれません。

ソフトウェアのデザインとユニバーサルデザイン

アプリケーションの設計はエンジニアの仕事ですから、 ユニバーサルデザイン的な観点の導入について、テクニカルな問題として扱いがちになると思います。

特にWeb系でデザイナーというと、設計に携わるというよりも、見映えのファッションの部分を扱うのが実情だと思います。

アラン・ケイ先生がいうように、いまのパソコンは使いずらいという印象を強く持っています。 これまでの経験から人間は、あまりにも柔軟性でドキュメントの不備も克服できる機能を持っています。 その人間に依存した作りになっている部分が多くあり、人間をサポートする機械であることは間違いありませんが、使いやすいか、という点には疑問を持っています。

ユニバーサルデザインの観点がこれを簡単に解決するとは思いません。 しかし、すべては参加者の意識とデザインの問題なのだと思います。

エンジニアはフレームワークを構築したり、ライブラリを開発することで、手の届くところにある問題を解決してきました。 それは全体からみて、局所的な対応であったため、場当たり的な「バリアフリー」問題の解決策のように、問題のある側面のみを解決してきたのかもしれません。

開発者は開発者の観点からみえる問題を積極的に解決してきたということはできると思います。 現在のコンピュータは高機能で複雑の度合いを高めています。 もはや革命的な変更は難しいところにまで成熟の度合いは高まっているのかもしれません。 何らかのフレームワークの導入とその対応の強制ですらハードルは高いでしょう。

ユニバーサルデザインの考え方が広がることでエンジニアが開発側の立場や経済的インセンティブに加えて、万人に受け入れられるデザインという観点からも提案できること、またそれが受け入れられる環境の醸成が必要と感じています。

すべてはデザインの問題なのです。 ファッション以外のデザインの意味、意義について教えを乞う機会はあまりにも少ないですが。

この記事で取り上げた品々

2010/02/18

OpenVPN on alixによる外出先から自宅へのアクセス

alixで稼働しているブロードバンドルータでOpenVPNサーバを稼働させてみました。 外出先からWindows XPが動くThinkpad x22とWillcom(PHS)のAX420Sを使って自宅マシンにアクセスできています。

実際のところはVNC+sshのポートフォワードでも家PCのデスクトップを操作する事ができます。 パスワード認証を止めてしまえば、SSL/TLS-VPNと同程度のセキュリティは確保できるでしょう。 ただ家の中に複数のサーバがあってSVNリポジトリへのコミットやら、直接ノートPCからアクセスできた方が便利な状況になったのでVPNを使う事にしました。

最近はIPv6も使っていますが、まだOpenVPNでのIPv6サポートは限定的なようです。 試しにIPv6アドレスで接続してみましたが、認証がちゃんと通りませんでした。 そこで今回は固定IPv4アドレスを使っています。

作業の概要

いまのところサンプルの設定ファイルを使って、共有鍵(static.key)を使った接続ができています。 「共有鍵方式は簡単!」とドキュメントにありますが、慣れの問題でデメリットを上回るほどのものではないと思いました。

このままではクライアントは1台だけしかサポートできないので、最近繰り返している手順を使って公開鍵方式を使った接続に変更します。

サーバ側の設定変更

サーバはalixで動くdebian lennyです。 パッケージからopenvpnを入れて、/etc/openvpn/server.confを編集しました。

secretで指定した共有鍵を指定している1行を削除して、tls-server, ca, cert, keyの4行を追加しました。

/etc/openvpn/server.confファイル

tls-server
dev tun
ifconfig 192.168.20.5 192.168.20.6
dh dh2048.pem
ca cacert.pem
cert newcert.pem
key newkey.pem
port 1194
user nobody
group nogroup
comp-lzo
ping 15
ping-restart 45
ping-timer-rem
persist-tun
persist-key
verb 3

あとは*.pemファイルを/etc/openvpnに配置して、パーミッションを適切にする事ぐらいでしょうか。とはいえrootだけが閲覧できるようにするのはnewkey.pemぐらいでしょう。

server.confにtls-serverを含めずに、/etc/default/openvpnを使う事もできます。

OPTARGS="--tls-server"

ただ設定個所が増えるのは良くないので、server.confにまとめるのが良いと思います。

クライアント側の設定

クライアントはThinkpad x22に入っているWindows XP SP3です。

OpenVPNが導入されているフォルダの中にcacert.pem, newkey.pem, newcert.pemをコピーします。

C:Program Files/OpenVPN/configフォルダ以下

cacert.pem
client.ovpn
newcert.pem
newkey.pem
opensvn_static.key

続いて、client.ovpnファイルを編集します。secretの1行を削除して、先頭にtls-clientを加え、他にca, cert, keyの合計4行を追加しました。

client.ovpnファイル全体

tls-client
dev tun
proto udp
nobind
persist-key
persist-tun
comp-lzo
verb 3
port 1194
remote 219.xxx.xxx.xxx
ifconfig 192.168.20.6 192.168.20.5
ca cacert.pem
cert newcert.pem
key newkey.pem
keepalive 10 60
ping-timer-rem
route 192.168.20.0 255.255.255.0
route 192.168.10.0 255.255.255.0
route 192.168.1.0 255.255.255.0

remote行に指定するのは、ブロードバンドルータのalixにつながる固定IPv4アドレスです。 そこから繋がっているサブネットに対してルーティングするため、複数のroute行を最後に書いています。

クライアントのセキュリティ

正しく設定を終えれば、Windows上ではOpenVPN Clientを起動するだけでVPNが確立します。 ノートPCが盗まれたりした場合には、少しばかり心配になってきます。

今回はnewkey.pemにパスフレーズをつけておくのがお勧めです。 newkey.pemを作成する時に"-nodes"オプションを指定していてパスフレーズを付けていなかった場合には、次のように対応できます。

$ openssl rsa -in newkey.pem -out newkey_with_pass.pem -des3

ここで"newkey.pem"が既に存在しているパスフレーズのついていない秘密鍵ファイル、"newkey_with_pass.pem"が新たに作成されるパスフレーズのついた秘密鍵ファイルで、秘密鍵としての機能自体は同じです。

2010/02/15

突然USBフラッシュメモリが使えなくなる

alixのバックアップ用に使ってきたELECOM製のMF-AU2 USBフラッシュメモリが壊れてしまいました。 とはいっても読み出しについてはエラーは出ていません。

ちょっと普通じゃない使い方

このフラッシュメモリはext3フォーマットをした上で、DNSサーバにしているalixのバックアップ領域として使っていました。

バックアップ自体はpdumpfsで行なうためハードリンクが使いたかったので、ext3にしていたわけです。

alix+debianの組み合せだと、起動時にUSBメモリが認識されるタイミングが一定ではなく、使いたい時にマウントしたかったのがautofsにした理由です。

ちなみに設定ファイルは次のようにしていました。

/etc/auto.masterファイル抜粋

/misc	/etc/auto.misc

/etc/auto.miscファイル抜粋

bk		-fstype=ext3,noatime		:/dev/disk/by-uuid/d83cc93b-a40e-4435-8de6-d18a56491f66

今回の症状

たまたまログインしてバックアップの様子を確認した時に発見しました。 家にもちゃんとnagios辺りで監視系を作らないとだめかなぁ。

新しくディレクトリを作ろうとすると次のようなメッセージが表示されます。

エラーメッセージ

$ sudo mkdir test
mkdir: ディレクトリ `test' を作成できません: No space left on device

とはいえ、領域を全部使い切ったわけでもなく、まだ半分程度は余っています。

現時点での容量

/dev/sdh1              3886448   1787812   1901212  49% /media/disk

常に100%を使い切るような使い方をすれば、あっという間に使えなくなる事は想像できたのですが、まだ51%残っている状態で、簡単に使えなくなり少し驚いています。

別の格安フラッシュメモリをチェックしてみる

念のため昨年末に近くの家電屋さんで放出されていたKingston製の格安メモリもチェックしてみると、みごとに不具合が出ていました。 ログの日付をみると2009/12/24のクリスマス前後から使い出したばかりみたいなんだけどなぁ…。

格安フラッシュメモリ領域にlsした時のエラー

$ ls /misc/bk
ls: cannot access /misc/bk/2009: Input/output error
2009  2010  OLD  do_pdumpfs.sh  ignore.list  latest  lost+found  stderr.log  stdout.log

この状態だと2009ディレクトリ以下のファイル、ディレクトリにはアクセスできません。 まぁこっちはまだ書き込めているので、しばらくは使い続けてダメになってから交換しようと思います。

復旧までのステップ

この領域はバックアップ領域なので、簡単に復旧できるのが良いところです。

  • 新しいUSBメモリを装着
  • ext3フォーマット
  • tune2fsでUUIDを調べて、/etc/auto.miscを書き換え
  • do_pdumpfs.shスクリプトを配置する

あとはcrontabから/misc/bk/do_pdumpfs.shが自動的に呼ばれて終りです。 autofsをベースにしたpdumpfsとcrontabの組み合せはとてもお手軽で助かっています。

問題は稼働状況の把握だけですね。

さいごに

まぁバックアップ領域なので、また適当なフラッシュメモリを買ってくるつもりです。NANDメモリの製造元でもあるSANDISK製のものは価格のわりに速度も品質も安定していて好きだったんですけどね。最近はもう売られていません。

SONY製のハイスピードタイプは読み出しは早いですけれど、全体的なパフォーマンスは価格ほどではないですし、どれもこれも信頼性という意味ではイマイチな感じなんですよね。

とはいえ「今のところ」信頼している製品でもNAND MLCである限りは潜在的に問題があるのは間違いありません。 繰り返しになりますが、USBフラッシュメモリをext3フォーマットして使うことに問題があると思います。今回のように純増していく用途であれば、NILFSが最適でしょうね。でもNILFSはハードリンクに対応しているのかなぁ、今度試してみましょう。

ちゃんと使いたいならお金を出して10万回以上の書き込み/消去サイクルを保証しているTranscendのJetFlash 1xxシリーズを使うべきです。 仕事で使うなら、このクラスの製品がお勧めです。

2009/12/21

誰かの作業内容をモニターするというアイデア

ImpressのGAME Watchの記事の中で SEGAのクローンモニタリングという教育手法について紹介されていました。

これはSEGAがSIGGRAPH ASIA 2009で行なったセッションの中でアートスタッフの新人教育の方法について説明していたもので、メインモニタの出力をスプリットして新人と先輩社員のセカンダリモニタに互いに表示させるという手法です。

原始的な手法ですが、概ね実施当初の成果は良いようです。 慣れてしまうと画面をみないという欠点にも言及されていましたが、新人が熟練者の仕事内容をみることができるというのは良いでしょうね。

自分の中に作っていく成長モデル

私はゲーム業界とは関係ないところで働いていましたが、 一定レベルの技術的スキルが必要とされる現場では、 新人を含めて社員のスキル向上に外部から働きかける事は難しいと感じていました。

若い間は目の前の仕事を片付けるだけで精一杯かもしれませんが、 そこに自分なりの工夫を入れていけると楽しくなると思います。

私は他の人からみてつまらないと思われているような仕事をするときは、 新しいプログラミング言語を使うとか、データ処理用のツールを作るとか、何か1つ自分なりに新しい事を組み込むようにしていました。 「○×縛り」みたいに自分に制約を付けると楽しくはないけれど、辛さは少しだけ軽くなります。 そんな様子は他の人にみえても良かったのかもしれません。

SEやプログラマーの教育には、そのままだと使えないかなとは思いましたが、 何事も新鮮にみえる新人の間に仕事の様子を互いに見えるようにするのは良いアイデアですね。

2009/11/15

財団法人が発行しているレポートをチェックしてみた

最近は政府の予算削減のために「仕分け」が行なわれている様子が中継されています。

10億の補助金を配るのに従業員8人の法人が5億の経費をかけているとかいわれて、監督官庁は雑多で定型的な作業なので法人に任せるのが適当とか受け答えしていたり、どこまでがネタかよく分からないですね。

そうはいっても独自に事業を行なっている法人もあるだろうし、どんな仕事しているのかなというわけで今回は「財団法人ソフトウェア情報センター」の平成20年度 調査研究報告書: ソフトウェアの適正取引に関する調査研究報告書 を読んでみました。

確かGoogleで「IT, 運用 ガイドライン」ぐらいのキーワードで探した中に含まれていたと思うのですが、いろいろおもしろかったです。

調査報告書なのに対象読者がいまいち不明

まとめた方々が法律家のようで、想定している読者が経営者なのかSIerのようなシステムを売るベンダなのか不明です。

なにか契約時に注意するべきチェックリストなどといった便利なものはなく、 雰囲気は大学3年生ぐらいが夏休みにまとめたレポートといったところでしょうか。

調査と報告はされていますが、とりたてて注目するべき研究成果はないようです。 まぁこの手の文書は発行する事が目的で注目される事を想定していないでしょうから、 それだけに読むとツッコみどころが満載です。

結論を知らないで読むとがっかりしそう

事実が羅列されていますが、それを踏まえて”ベンダ or ユーザは〜するべき”といった事は、ほとんど書かれていません。少しだけ”免責事項に入れておくと良い”といった記述がありますが、それは責任を回避する事しかできないので、より良いものを作るという根本的な問題解決にはなっていません。

後半にまとめられている結論は「ベンダの説明不足とユーザの勉強不足」という事になっています。それをどうすれば良いかは書かれていないと。

ちょっと編集してチェックリスト的なものにすれば実用的なのですけどね。 まぁ読者の設定もよく分からないし、ベンダが問題を回避するためだけの資料に使われそうです。

技術者が書いたものではないためか、より良いものをいかに作るのか、という話しではないです。

保守サポートは何年間提供するべきか

そもそも保守サポートを提供するべき年数についても、”いろいろ考えて合理的に決めてね”といった事が書かれているだけで、参考にするべきサンプルも事例も紹介されていなかったり、スルー力が大いに鍛えられる構成になっています。

そもそもこの前段は保守部品(HW)を提供しなかった業者に対する判例を紹介していて、後段のソフトウェアの保守性とは整合性が取れていないと思います。

たぶん読んでおいた方がよいページ

まぁ、この報告書は啓蒙以上の効果はなさそうですが、ちょっとgoogleで検索してみるとソフトウェアの契約に関連するトラブルとしては次のような内容をおさえておくのが良いと思います。

発注者側が不利益を被らないために何をするべきか

ソフトウェアほど幅のある物もないわけで、発注する側はどういった効率改善を期待するのか、 どう使うのか明確にイメージした上で発注する必要があります。それが難しいんですけどね。

コンピュータに詳しくない発注者側が面倒になって「とにかく作ってくれ」みたいな流れになると、最終的には全員が泣くことになります。 面倒でも理解できるまでは議論する必要もありますし、業界の常識をベンダに説明する必要もあります。

残念ながらシステム開発についてはベンダ側の実力によって、同じ人手をかけても出来上がってくるものには、とても使えるものから、ギリギリ使えないものまで、かなりの幅があります。

また残念ながらベンダは人手をかけずに最低限の使い勝手で納入する事ができれば利益を最大にできるインセンティブを持つので、信用できないと思えば発注しない事も大切でしょう。 まともなベンダはその事を知っていて顧客の信頼に答える事は何よりも大切だと理解しているはずです。

まともなシステム開発をしたいなら、顧客のパフォーマンスが最大限になるような業務フローの変更といった提案込みで話しをするべきだとも言えます。

発注側は自社できないから外注するのでしょうけれど、少なくとも自社のビジネスとシステムに詳しい人物を確保してコーディネータとして活躍してもらう事がこれからは増えてくるのだと思います。

発注する側はアウトソーシングと思っているかもしれませんが、 勘違いして自社の業務を理解している技術者が不在だとコーディネータになるべき人材がなくて悲惨な事になるでしょうね。

何が必要かって難しいですけれど、 ベンダは仕事をしない事で利益が最大になるインセンティブを持っている事を理解して、 発注者側が求めるものをしっかりイメージして、それを要件として文書できっちり出す事が重要だと理解する事でしょうね。

2009/06/17

XHTML+RDFa ReadyなWebページを書いてみた

さすがにpending状態なWebサイトの更新に向けて、とりあえずトップページの分だけ、 神崎さんのページwww.w3.orgなどを参考に、XHTML+RDFaなファイルを作ってみました。

とりあえず手探りでしたが、もう少し試行錯誤を重ねて汎用的なテンプレートを作っていこうとしています。 今回手で作ったページはお試しなので、辿れるところには置いていません。

emacsのnxml-modeを使ったものの、property要素を使おうとするとエラーになりました。 対応するスキーマがUbuntu 8.04の/usr/share/emacs/site-lisp/nxml-mode/schema/になかったのでtrangを使ってDTDからRNCファイルに変換しました。 いろいろ試しつつ最終的にはvalidator.w3.orgで確認してエラーがない事を確認しています。

他のXHTML, CSSのvalidator同様にアイコンを付ける事ができるメッセージが出たのですが、気になるところがありました。表示されたXHTMLの断片コードが次のようになっていたのですが…

...
resource="http://www.w3.org/TR/rdfa-syntax"
rel="dct:conformsTo" xmlns:dc="http://purl.org/dc/terms/"
...
たぶんこの"dct:conformsTo"の部分が"dc:conformsTo"だと思うんですよね。

まぁ名前空間の接頭辞は上書き可能とはいえ、まぎらわしいので、この部分のxmlns:dcは取り去ってファイルの先頭で宣言している接頭辞に合せて"dc:conformsTo"に変更しました。

2009/03/26

okwaveを始めてみた

いまのプロバイダーはNetNewsのサーバーを提供していないのですが、時々fjを懐しく思う時があります。
Google Groupsでは今でもfj.*なグループを一覧にする事もできて、使えない事はないけれど、 スパムに埋没しているグループもあったりで時代の変化を感じます。

そんな話しとは直接関係ないですが、商業的にQAサービスを提供しているokwaveに登録してみました。
観察がメインですが、回答できそうな質問には答える方針で参加しています。

受け手にかなりの読解力を要求する前後を省いた要点だけの回答や、スルーできずにつっこむ人がいたり、関係ないところで淡々と答えている人がいたり、fjと似ているところもあるけれど、匿名性のためか全体の雰囲気は2ch.netと昔の掲示板システムのフレーバーがまざっている感じです。
個人的にはfjの実名主義は責任も伴なう側面があって好きですが、 今も昔も匿名性に頼って言いたい放題な方は全体の品質を下げる方向に貢献しているように見受けられます。(例外は今も昔もいらっしゃいます…)

そんな方への対処の方法は昔からいろいろありますが、回答の作り方や処世術も含めて「fjの歩き方」なんかは一般向けに編集されていて読み易いと思います。
ネチケットはまだ現役だと思いますが、 あまり読まれる機会もないのかなぁとか思うと寂しいですね。

いまある2ch.netやいろいろな投稿サイトをみて、その文化に染まる事が流行りに乗る事だと勘違いせず、あるべき方向を利用者が考えて便利に使っていけると良いなぁと思います。

気になった事

使っていると、一言だけ御礼やコメントを追加したいタイミングがありますが、システムと規約の制約から質問者が簡単な御礼を伝える事だけしかできません。
無用な論争を避けるために、これはこれで有りだと思いますが、回答していると「〜なつもりでした」ぐらい書き加えたい時があります。

回答とは切り離してblogなど一方的にかきなぐる場所があれば、回答だけをみて不信感を感じた人も+αの情報を確認できるかもしれません。 その反面、非難中傷、罵倒が書かれていれば、さらに憎悪が増す事になるでしょう。
管理できないものを増やしても利益がないという事なのか、 ここをみていると商業的に事業者が管理できる範囲をよく表していると思います。

多様性は重要とはいえ、ここら辺のバランスは匿名性を薄めていかないとどうしようもないかなぁ。
日本の文化だと全面的な実名主義は一般向けのサービスでは難しいと思いますけどね。

参考までに1995年にオーム社開発局から出版された「fjの歩き方」には、参加者の心得として次のような事が書かれています。

  1. fjのネットのむこうには、人間がいることを忘れるな
  2. fjという郷に入りては郷に従え。でも盲従することなかれ
  3. fjでは、肩書きで物を言うなかれ
  4. 困った時のfj頼み
  5. fjを、賢く使って、いいくらし
(fjの歩き方 P.53より)
これにみんな従っていたわけではありませんが、全体的にこういう考え方で支持されていたコミュニティもあったという事は忘れたくないものです。

2008/05/10

実家に帰っている間にアパートのマシンに入るために22番ポートを開けてきたけれど、ログをみるといろんな痕跡が残っていた。とりあえず次のようなIDに対してログインを試みた痕跡があった。
非常時のshutdown用に"shutdown"なんてログインIDをパスワードなしで作るのもありえる話しとは思いますが、気をつけないとですね。 もっともsshd_configの設定でパスワードなしのログインを許可しない(PermitEmptyPasswords no)ようになっていない環境はインターネットに直接接続するのは危険すぎますが…。

adam,adm,admin,administrator,admins,agent,alan,alex,alias,amanda,amavisd,angel,apache,appowner,appserver,aptproxy,brett,core,cyrus,cyrusimap,dan,danny,data,david,dean,desktop,divine,eleve,eppc,frank,ftp,ftpuser,george,gopher,guest,halt,harrypotter,http,httpd,ident,identd,info,jabber,james,jeff,john,library,linux,mailman,mailnull,master,michael,mike,mysql,named,newsletter,nfsnobody,office,operator,oracle,party,paul,pgsql,pop,popa3d,postfix,postgres,postmaster,qtss,radiomail,recruit,richard,robert,rpc,rpcuser,rpm,sales,samba,sara,search,securityagent,sgi,shop,shutdown,smmsp,snort,spam,ssh,staff,stephen,steven,sunny,susan,telnetd,test,tokend,tomcat,tony,unknown,user,username,users,virus,visitor,web,webadmin,webmaster,webpop,windowserver,workshop,www,wwwrun,xgridagent,xgridcontroller,zzz
カスタマイズするためのオプションなので当たり前かもしれませんが、危険な設定のべき、べからず集の定番ってないですよね。検索すればいろいろでてくるんですが。

2008/02/02

X Windowに絶望する

某Webサイトのオープンソースソフトウェア解説漫画やら、何も知らないであろう職場の同僚や後輩が「いっくすうぃんどう」と発言しているのをみると、「エックスでいいんじゃない?」と思います。

職場では、タイミングをずらして訂正しますが、やはり手遅れで認知度が低いようです。
まぁ細かいところにこだわるのは本筋ではないのですが、「それ違うでしょう」というお客様のツッコミに反応できるだけの知識もないとなんですよね。

まぁ普段はそれでいいけれど、「X」の正式名称がわざわざ定義されていて、それ故にこだわる人がいる事だけは覚えておきましょう。

2007/12/10

SysAdmin紙の廃刊

廃刊になったSysAdmin紙からCD-ROM (vol.13) が届きました。 学生の頃に自分でマシンの中身を理解したくてシステム管理に興味を持ったものの、資料といえば図書館にあったSysAdmin紙ぐらいしかない状態だったけれど、なんか「システム管理」っていう言葉から受ける印象とは記事やスタンスが少し違う気がするんですよね。いい意味で。

いまは実験とかするのに、その「環境」を統治するスキルが軽視されているような気がします。
でも現状OSが複雑すぎるのは間違いないので、LISPやSmalltalkが全てにおいて優れているとはいいませんが、土台からコントロールできるというのは正しいアプローチなんだろうとは思います。

まぁGoogleで検索するのが主流な世の中で、物理的な雑誌はもうちょっとマニアックに話題を絞らないとやっていけないんでしょうか。
いや十分にマニアックだけれど、ちょっと残念です。

2007/08/24

パソコン使ってハッピーに過していますか?
- Reference: http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2007/0824/config173.htm

今日読んだ山田祥平のRe:config.sysでは、Appleの"Numbers"とMicrosftの"Excel"の比較と、「デジタルはイネーブラだ」という言葉が紹介されていました。
最近思うのは、10年以上も主にlinuxを中心にコンピュータを使っているけれど、私たちの暮しはより便利に、よりハッピーになっているのだろうかという事です。

CPU、メモリ、二次記憶域なんかのハードウェアはどんどん拡張されて、ソフトウェアも(以前と比較すれば)より高度な事ができるようになっているけれど、運用なんかを仕事にしていると、不完全なソフトウェアの負の部分を、高度な柔軟性を持っている人間が補っているという実感がどうしてもなくなりません。 たしかにそれは仕事の一部ではあるのですが。

私はコンピュータは人間に対する便利な道具であるべきだと信じています。
現状は多くの人々は、開発者と呼ばれる人達のソフトウェアを消費する立場にいるだけで、Excelなんかのマクロを作成する事ですら、つまり自分が日頃使っている道具を少し便利にしようとするだけで、高度な技術が要求な敷居が高い作業だと考えられているように思えます。

なにしろ開発者と呼ばれる人たちの中でさえ、他人の作った雛型のコメントやフレームワークの説明書に書かれた事しかできない、見方を変えれば、ただの消費者でしかない人達も一部には含まれています。大部分の人たちは何かしら工夫をしたり、別の部分で作業効率を上げるような工夫ができる人たちだと思いますが。

Javaを中心にEase of Development (EoD)などと言われていますが、昔聞いたEnd User Computing (EUC)はどこにいったんでしょう。
紙と鉛筆を手にした人間が様々な作品を作り出したように、コンピュータを使ってそんな創造的な活動ができる事を、コンピュータリテラシーの目的に置く事が重要だと思います。 「読み書き、ソロバン」なんていうリテラシーの意味を説明する言葉に躍らされて、(セキュリティ対応含めて)メーラーとWebブラウザの操作ができれば情報の授受ができるからリテラシー教育としては万全なんていうのは間違っていると思います。

「コンピュータを使って何ができますか?」、この質問により具体的に、多くの回答を出すような教育が必要でしょう。
お金のある人が多くのソフトウェアを購入して、より多くの事ができるようになるなんていうのは、正しい方向性ではないと思います。