2018/09/24
冷静に書いたつもりでしたが、誤りや理由の不足が多いので大幅に修正しました。
大学組織に属する人間が学生個人の後々の人生にまで影響するような犯罪的行為に関与しているという報道に憤りを感じています。
また大学が事後に学生を十分に守れなかったという点にも強い憤りを感じると同時に、勇気ある行動を取った学生に救いがあることを心から望んでいます。
報道ではまだ事実関係と感情的な表現が混り合い、必ずしも客観的な報道が行なわれているとはいえないと感じています。
しかし複数の関係者から得たと思われる事実関係から、これは強いチームを作ることを目的・大義名分として引き起された組織的な犯罪的行為だと考えています。
この問題の構造上、大学・監督側に罪の意識がない事は当然だと思いますが、同時に決して社会的に容認してはならない行為が含まれていると確信したため、この記事を残しておきたいと思います。
日大アメフト関連のニュースをみて、カルト的な性質を持つ組織の危険性を十分に指摘できていないと感じています。
これまでの報道から、ここで指摘したいポイントは以下のとおりです。
- 監督側が坊主頭にするよう指示した点 (私生活への関与)
- 監督側が試合だけでなく練習にも参加させなかった点 (無気力感の付与)
- 試合に参加させる条件として、違反行為を指示した点 (組織への帰属意識の醸成)
- 罪の意識を感じている当人に、優しいのがいけない・指示した監督の責任である、と、罪の意識を感じなくてもよい旨の言葉をかけている点 (許しと信念の強化)
- 記者会見で行為を犯した当人が、自分の弱さであったと自分を責めた点 (権威である監督側を責めないのは、打ちひしがれ無気力感を強く感じている被害者が取る行動の典型)
これらを読んで、チームスポーツではままあることである、本人が判断して実行したのだから本人にも一定の責任がある、と考えることは非常に危険です。
これは監督側が悪意なく・無意識に立場の弱い若い人間をコントロールし、組織に隷属させようとした行為である、と捉えるべきです。
強いチームを作る大義名分の元では過激な指導が正当化されてきた雰囲気はこれまで日本社会にあったと思います。
しかし日常生活にも関与され、練習にも参加が許されず、十分に自分を責める環境に置かれた学生には、反動として監督側の期待に応えたいという気持ちが大きくなるでしょう。
怒りを感じるのではないか、と疑問を持つかもしれませんが、監督側への反抗は学生の利益になりません。
今回は真面目な学生であったが故に、自分を強く責め、怒りの感情を持つこともなかったのではないでしょうか。
これはテロ組織の構成員が指導者や神が喜ぶこととして指示以上の過激な行為を行なったり、虐待を受けた子供達が、怒りよりも親の期待に応えたいという気持ちを持つ事と同じ構図です。
個々の課題
監督が、論理的に考えて懲罰以外のなにものでもない、坊主頭にするよう指示した点は、少し前であれば中学や高校でもあったと思います。
しかし、これは管理上生み出された手法であり、個性を消し組織への隷属を進める上での重要な第一歩です。
まず私生活面に指示を出すことは、権威を強化するために良くみられます。
こういった行為を繰り返すことで、当人から反論したり、反発する気力を奪う効果があります。
客観的に考えて不合理な理由の元で、試合だけでなく練習にも参加させない、という行為は、無気力感を付与する上で、非常に強力な手法です。
暴力行為など部内の風紀を乱した分けでもない者を、練習にも参加させないという事は、有り得ないことで、学生は混乱します。
おそらく監督・コーチは雰囲気を壊していると考え、監督側としては合理的な理由があったのだと思います。
しかし、本人が正しいと思ってることを理由を与えずに否定することが、無気力感を付与する上で非常に効果的に働いています。
合理的な理由の裏にある無意識が真の理由であり、学生を心理的に束縛し、監督側が意図した雰囲気・動きを生み出すことに利用されています。
そして、徹底的に存在価値を否定した人間に対して、試合に出る条件として犯罪的行為を求めることは、取引として正当ではないことは当然ですが、組織に留まるために与えた唯一の選択肢であり、その瞬間の学生にはこれ以外の選択肢があるとは思えないでしょう。
これはメンバーがあたかも自発的に犯罪行為を犯しているかのように見えるカルト的組織の犯罪と似ています。
この先の展開としては、犯罪的行為を行なった学生に対して、監督側が許しを与え、組織の中での地位を高めるなどの手法により、より組織への帰属意識を強める効果が埋まれるはずでした。
しかし、ここで手順を間違えたので、今回は、むしろ組織から離れるという選択をさせてしまった点が監督側としての失敗で、社会にとっての幸いでした。
このように荒削りですが、学生の自主性を奪った後に犯罪的行為に勧誘するという環境を作る監督側の行為は人間の尊厳に対する挑戦です。
一連のニュースへのリアクションとして、日本を代表するカルト的組織である、ヤクザとの類似点を指摘する声があることは極めて正しいリアクションだと思います。
しかも、最後に罪の意識を強く感じている当人に許しを与えるかのような監督の行為は、まさに成功しなかったことが幸いですが、うまくいっていれば、監督・コーチを神と崇め隷属する学生が一人増えたことでしょう。
今回の件では、監督の許しに続いてコーチの叱責があったといわれていて、これにより効果が弱くなり、学生の帰属意識を深めなかったと思われます。
記者会見で学生本人は自分の弱さが理由であったと述べていますが、一連の行為により判断能力や抵抗する力を奪われている状態だった点を指摘するような報道はあまりなかったかなという印象を持っています。
この問題を繰り返さないために
日大アメフト部を一言で象徴するなら、監督をトップとする全体主義的な組織だったといえるでしょう。
日本が戦争を犯した反省として、こういった組織の存在を許すことはあり得ないと思うのですが、戦後日本の繁栄は、こういった組織を温存したから達成できた側面もあると思われますので、社会的に一定受容されてきた経緯が今回の悲劇を招いたと考えています。
対象的な関西学院大の対応が望ましく思われている理由は、自由・個人の尊重といった、民主主義的な組織という印象を与えているからだと思われます。
おそらく近い将来に「勝つために必要だった」という言い訳を聞く事になると思われますが、大切なポイントは全体主義的な組織、個人崇拝・個人が持つ権力の絶対化、を許さないという点です。
恐怖で他者をコントロールしようとする組織は、これからの社会では必要ないと考えるべきです。
今回の件は、この日本の中で見られるある種の典型的な組織風土が極端に出た形だと思います。
しかし、類型は様々なところで問題を起しているという認識を持って、"誰か"が悪かった、という結論は何の解決策にもならず、一般化しできるだけ広く適用できるあるべき姿を模索しよう、という理解・努力が広がることを期待しています。
最後に、どのような組織であっても帰属意識を高めることは必要で、組織というものは悪意なしに何等かの方法でメンバーに影響を与えようとしています。
それ自身が悪いわけではありません。
問題はルールが不明確で、メンバーに対して自由を与えず組織が望まない選択肢を取ることができない状態に導くことが問題で、その組織から離れることを含めて全ての自由・選択肢がメンバーにあることが望ましく、そこが犯罪的な組織とその他の組織を分けるポイントだという点を強調しておきたいと思います。